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2010年10月28日
 

まとめ

 
アダムとエバの関係に見られた結婚の摂理は、キリストと教会が迎える最後の結婚でも、まったく同じでした。

 最後に、すべてのポイントをおさらいしましょう。

 まず、地上での男女の結婚です。

①夫はリーダー、妻は助け手

②夫は人生の目的を知る、妻はそれを支える

③夫は霊的な模範となる、妻はそれを見習う

④夫は妻を大切に扱う、妻は夫を尊敬する

⑤夫は妻を自分自身として養う、妻は与えられたものを正しく用いて楽しむ

⑥夫と妻は、父母を離れ、新しい時代を築く

⑦夫と妻は、すべてを打ち明け、隠し事がない

2010年10月27日
 

花嫁である教会は、苦しみを通り、栄光を受ける

 「夫と妻は、すべてを打ち明け、隠し事がない」という7番目の原則を、最後の結婚からも見てみましょう。

 イエスに従い、人生を捧げてきた者たち、つまり花嫁なる教会にとって、最大の報いとは、何でしょうか?

 それは、イエス自身とさらに親しくなり、よく深く知れることです。

 イエスは、身近な弟子たちとただの群衆たちとでは、語る内容が違いました。

 群集たちにはたとえ話だけでしたが、身近な弟子たちには奥義を伝えました。

 すると、弟子たちが近寄って来て、イエスに言った。「なぜ、彼らにたとえでお話しになったのですか。」イエスは答えて言われた。「あなたがたには、天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていません。(マタイ13・10-11)

 
イエスは、本気で人生を捧げてくる弟子たちには、深い奥義を分かち合ってくれるのです。(ヨハネ15・15)

 ただし、妻の立場となる勝利者たちが知るのは、深い知恵や知識だけではありません。

 夫は親密な関係にある妻だけに、もっと特別なことを分かち合いたいのです。

2010年10月26日
 

夫と妻は、すべてを打ち明け、隠し事がない

 
いよいよ、7番目の原則です。

 今回のシリーズでお伝えする最後の原則です。

 創世記2章、つまり人類に罪が入る以前の、麗しい最後の一節を読みましょう。

 人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった。(創世記2・25)

 
アダムとエバは裸でしたが、恥ずかしいとは思いませんでした。

 互いに自分のことを包み隠さず露にしていました。

 これは肉体的な意味だけでなく、霊的な意味も象徴されています。

2010年10月25日
 

花嫁である教会は、恵みの時代に歩む

 
「夫と妻は、父母を離れ、新しい時代を築く」という原則は、最後の結婚にも見られるものです。

 夫であるキリストは、神の姿を捨てて、人となって地上に来ました(ピリピ2・5-8)。

 決して父なる神と「引き離された」わけではありませんが、人々を救うため、それまでの立場を捨てて、神の計画の新しい時代の扉を開きました。

 十字架の死から復活した後のイエスは、すべてに勝る地位を与えられています(ピリピ2・9、マタイ28・18)。

 イエス自身も、新しい段階に入ったのです。

 父なる神がキリストのうえにあることは変わりませんが(Ⅰコリント3・23、11・3)、キリストは今、父からすべての権威を委ねられています。

 一方、地上の私たちも、十字架によって新しい段階に入りました。

 律法の行いに基づく古い契約(Ⅱコリント3・14)から、十字架の信仰に基づく新しい契約(Ⅱコリント3・6)へと導かれたのです。

2010年10月22日
 

夫と妻は、父母を離れ、新しい時代を築く

 
番目の原則に入ります。

 アダムとエバが出会い、喜びに満たされた後、聖書はこの二人の関係から導き出される真理を明確に伝えています。

 それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。(創世記2・24)

 夫婦とは、「父母を離れ」、新たに一体となる者たちです。

 結婚した夫婦と、その両親たちとの関係について、聖書は明らかな一線を引いています。

 ときどき、「結婚とは、個人ではなく、家族同士の結婚です」という言葉を聞きますが、そうではありません。

 結婚は家族同士ではなく、個人同士がするものです。

2010年10月20日
 

花嫁である教会は、神の恵みを正しく管理して用いる

 
最初の結婚では、アダムはエバを自分の体として愛し、養いました。

 では、最後の結婚について、聖書は何を教えているでしょうか?

 また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。(エペソ1・22-23)

 キリストは「頭」で、教会はその「体」です。

 キリストは自分自身である教会を満たします。

 最初の結婚と同じ、夫婦の原則です。

 だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。(エペソ5・29)

どれほどイエスが教会を「自分自身」として養っているか分かりますか?

2010年10月18日
 

夫は妻を自分自身として養う、妻は与えられたものを用いて楽しむ

 5番目の原則を、最初の結婚から学びましょう。

 エバを得たアダムの、歓喜の声を聞いて下さい。

 人は言った。

 「これこそ、今や、私の骨からの骨、 

  私の肉からの肉。

 これを女と名づけよう。

 これは男から取られたのだから。」

 (創世記2・23)

 
アダムがエバを見たとき、その感想は「なかなか良い」どころではありません。

 「骨からの骨、肉からの肉」です。

 骨は人の内側(精神面)、肉は人の外側(物理面)を象徴しています。

 「私の体から取られた分身だ」という宣言です。

2010年10月14日
 

花嫁である教会は弱さを認め、恵みを受け取る

 
「夫は妻を大切に扱う、妻は夫を尊敬する」という原則を、最後の結婚にも当てはめてみましょう。

 夫であるキリストは教会を、まさしく自分のあばら骨として扱っています。

 教会は、まずイエスと寝食を共にし、そのふところ深くで育った12弟子(ヨハネ13・12参照)が「あばら骨」となり、そこから増殖して成長していきました。

 イエスの思いの中には、(父なる神の次に)常に教会があります。

 主がもっとも楽しみにしているのは、花嫁である栄光の教会の完成です。
 
 夫が妻を「弱い器」として大事に扱うように、主イエスも教会の「弱さ」を理解し、あわれみと恵みの心を持って対応してくれます。

 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。(へブル4・15-16)

2010年10月13日
 

夫は妻を大切に扱う、妻は夫を尊敬する

 
4番目の原則に進みましょう。

 エバは、もともとアダムのあばら骨でした。

 そして、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。神である主は、人から取ったあばら骨をひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。(創世記2・21b-22)

 
生物学的に見ると、あばら骨(肋骨)の骨髄は血を作るための細胞分裂が盛んな場所です。

 創造主である父なる神は、この骨から細胞を増殖させ、エバを組み立てました。

 しかし、エバがあばら骨からできたのは、生物学的な意味だけではありません。

 エバ(妻)は、アダム(夫)のふところの一番深い場所、心臓によりそう存在なのです。
 
 ここから原則が学べます。

2010年10月12日
 

花嫁である教会は、常に十字架に帰る


 3番目の原則「夫は霊的な模範となる、妻はそれを見習う」を、最後の結婚からも学びましょう。

 最初の結婚では、アダムが眠り、安息したとき、あばら骨がとられてエバが造られ始めました。

 同じように、最後の結婚でも、キリストが眠り、安息したとき、妻である教会が造られ始めました。

 キリストが象徴的に「眠った」のはいつでしょう?

 十字架で死んだときです。

 イエスは、十字架で死に、葬られ、眠りにつきました。

 すると全人類の罪の赦しと救いのための計画が完了したので、神は教会(救われた者たち)を準備し始めました(詩篇139・15参照)。

2010年10月11日
 

夫は霊的な模範となる、妻はそれを見習う

 
3番目の原則に入りましょう。

 園を管理していたアダムに、いよいよ神がエバを与えるときが来ました。

 何事にも、神のタイミングがあります(伝道者3章)。

 どんなときでしょうか? 聖書は教えています。

 神である主は深い眠りをその人に下されたので、彼は眠った。(創世記2・21a)

 
アダムは、眠ったのです。

 神によって、眠らされたのです。

 聖書には、「眠り」にはいくつかの象徴的な意味があります。

 「怠惰」「逃避」「世俗化」など、ネガティブな意味のときもあります(箴言6・9-10、ヨナ1・1-5、ローマ13・11)。

 しかし、一方で、眠りには「安息」の意味もあります(箴言3・24、マタイ8・24)。

 アダムの眠りも、安息の象徴です。

2010年10月 9日
 

花嫁である教会は、神の国と義を求める

 
夫婦関係の2番目の原則「夫は人生の目的を知る、妻はそれを支える」を、最後の結婚からも学びましょう。

 夫であるキリストは、父から与えられた使命を知っていました。

 常に父の御心を求め、与えられた働きに忠実な方です。

 わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行うためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行うためです。(ヨハネ6・38)

 
イエスが父から与えられた目的・ビジョンは、王として神の国を統治することです。
 
 イエスは主であるだけでなく、王でもあるのです(黙示録17・14、19・16)。

 神の国(神の力が満ちる領域)を全世界に広げ、救いを与え、治めること、それが王であるイエスの仕事です。

 花婿が王なので、花嫁である教会は王妃です。

2010年10月 7日
 

夫は人生の目的を知る、妻はそれを支える

 
夫婦の原則の1番目は、「夫(キリスト)がリーダー、妻(教会)が助け手」、言い換えれば「夫(キリスト)は妻を愛し、妻(教会)は夫に従う」というものでした。

 2番目の原則を見てみましょう。
 
 まず最初の結婚からです。

 ここではアダムが独身時代に何をしていたか、に注目します。

 神である主は土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造り、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて来られた。人が生き物につける名はみな、それがその名となった。人はすべての家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名をつけた。しかし人には、ふさわしい助け手が見つからなかった。(創世記2・19-20)

 アダムがもともと造られたのは、地上を治めるためでした(創世記1・26)。

 まずエデンの園を管理し、耕し、守り(創世記2・15)、動物たちに名前をつけていました。

 アダムは、いわゆる「婚活」はしていません。

 ただ神から与えられた使命を理解して、誠実にその働きを続けていただけです。

 すると神がひそかにエバを用意し始めました。

 これが神の摂理です。

2010年10月 4日
 

花嫁である教会は、主に従う

 
夫がリーダーで、妻は助け手、という関係は、キリストと教会の関係にも当てはまります。

 イエスの弟子は、イエスを「主」と呼びます。

 主とは、「主人」という意味です。

 妻にとって夫は主人です。

 聖書に登場するサラも、夫アブラハムを「主」と呼びました(Ⅰペテロ3・6)。

 教会にとって、キリストがリーダーであることに異論の余地はありません。

 私たちがイエスを主と呼ぶなら、それは、キリストがリーダーであることを表明しているのです。

 なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。(エペソ5・23)
 

2010年10月 1日
 

夫はリーダー、妻は助け手

 
アダムとエバの結婚の物語は、神の次の一言から始まります。

 神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」(創世記2・18)

 
アダムはもともと園の管理人でしたが、一人で作業していました。

 すると神はアダムに「助け手」としてエバが必要だと言いました。

 これは、神がデザインした夫婦の基本原則の一番目です。

 神は、夫婦関係において、夫が正しくリーダーシップを担い、妻がそれを助けてあげるようにと願っています。

 この表現は、誤解や混乱を招かないように説明が必要かもしれません。

 ある女性は、これを不平等だと考えます。しかし聖書は男女の価値が違うとは言っていません。

 神は男性も女性も平等に価値ある存在として作っています。

 役割が違うだけです。

 結婚には正しい役割分担が必要です。

2010年9月30日
 

 聖書に登場する最初の結婚の物語を知っていますか?
 
 エデンの園でのアダムとエバの結婚です。

 この二人は世界で最初に出会い、喜び、一組の夫婦となった二人です。
 
 なにしろ人類最初の二人ですから、この夫妻なしでは今の私たちはありません。

 アダムとエバを語る際には、創世記3章での彼らの失敗が強調されがちですが、その直前、創世記2章での彼らは、たしかに神の摂理に従って結婚した、最高の夫婦でした。

 まだ人類に罪が入る前で、神が計画したとおりにすべてが麗しくあったので、彼らの結婚は、完璧でした。

 ですから、アダムとエバの結婚の記述をよく読むと、そこには、神がデザインした正しい夫婦関係の秩序と原則が描かれています。

 これを知ると、夫と妻のそれぞれの役割分担や、互いにどのように接すれば良いのか、などの基本を得ることができます。

 しかし、それだけでは、興味を持たない読者もいるかもしれません。

 では、もう一つの結婚の物語はどうでしょうか? 

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