まとめ
救いは、霊(義認)、魂(聖化)、体(栄化)という三つのステップにわたるものです。あなたがすでにイエスを信じているなら、次のことが言えます。
あなたの霊は、すでに、救われました(義認)。
あなたの魂は、今、救われている最中です(聖化)。
あなたの体は、将来、救われます(栄化)。
この3重の真理は、聖書の中の数々の御言葉に示されています。
たとえば、弟子たちに向けた言葉で、過去形で書かれた救いは、通常は霊に関するものです。
神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。(テトス3・5)
一方、現在形の救いは、魂に関するものです。
そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。(ピリピ2・12)
(ただし、 霊が救われた時点で魂も神のものとなっているので、「魂も救いを得た」と表現するときもあります。Ⅰペテロ1・9参照)。
体の救い ~将来、実現する救い~
イエスを信じたあなたの霊の救いは、一瞬で完成しました。
魂の救いは、現在形で完成途上にあります。
では、体の救いはいつでしょうか?
それは、キリストが再び地上に戻ってくるときです。
聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。(Ⅰコリント15・51-52)
キリストが再び戻ってくるとき、私たちの肉体は、もはや老いることも死ぬこともない完璧な体になります。神がデザインしたとおりの、神の栄光に満ちた体です。
このとき、すでに死んでいた信仰者たちは復活して新しい体を得ます。まだ生きて地上にいる信仰者たちは、そのまま一瞬で新しい体に変えられます(Ⅰテサロニケ4・13-18)。
これが私たちが肉体の領域で待ち望んでいる救いです。
魂の救い ~日々、達成していく救い~
霊の救いは、一瞬で完成しました。しかし、魂の救いは、始まったばかりです。
あなたの魂は、過去の罪によって汚れた荒地となっています。イエスを信じた後も、まだその汚れは残っています。
魂は、今も不完全で、未熟です(Ⅰヨハネ1・8-9)。あなたの魂は、キリスト・イエスの命に満ちた霊、すなわち荒地に登場した最高の管理人によって、取り扱われ、聖められ、成長していく必要があるのです。
管理人であるキリストは、ただ土地(魂)を買い取っただけではなく、岩や石をどけて、土を耕し、種をまき、水をやり、時間をかけて美しい庭園へと仕上げていきます。
けれども、そのためにはあなたの協力が必要です。
キリストは、「この『嫉妬心』という岩をどけましょう」、「この『憎しみ』という根を抜き取りましょう」と、あなたに協力を求めてきます。
そのときあなたは告白して、キリストに許可を出すのです。「わかりました。私の中にそんな部分があったことを素直に認めます。どうか取り除いて下さい」
また、キリストは、「良い種をまきたいので、聖書の御言葉を心に蓄えなさい」「日光と雨が心に注がれるために、祈りの時間を持ちなさい」と、あなたに必要な行動を教えます。
あなたは「分かりました。自分ではできないですが、あなたが一緒に手伝ってくれると信じるので、やってみます」と応えます。
そのような、キリストとのコミュニケーションの積み重ねが、あなたの心の開拓につながります。
霊の救い ~一瞬で完成する救い~
あなたの霊は、キリストを信じた瞬間、キリストの命を得ます。キリスト自身があなたの内に宿るのです。
イエスは今、天で父の右の座についていると同時に、信じる者たち一人ひとりの内に宿っています。
キリストの命を得た霊は完全で、神と同じ性質を持ちます。これが霊の「救い」です。
生まれつき切断されていた電源コードが修復され、天からキリストの命という電流があなたの中に流れ、霊という豆電球の機能が回復するのです。
これまで、あなたの心は荒れ果てた土地になっていました。けれども今、最高の管理人であるキリストが登場しました。
この管理人はオーナーでもあり、この土地は彼の所有地になったのです。
人はみな、心の奥底にむなしさを抱えています。霊が空っぽだからです。
どんなに裕福になっても、どんなに有名になっても、どんなに宗教に励んでも、どんなに善行を積んでも、どんなに知識を増やしても、どんなに快楽にふけっても、この空白は満たされません。
この空白を満たせるのはイエスだけです。そのように初めからデザインされているのです。
福音(グッド・ニュース)
イエスは、初めから父なる神と共にいた「子なる神」です。父なる神と共に、天地のすべてを、そして私たち人間を、造りました。(コロサイ1・15-17)
聖書によると、そのイエスが今から約2000年前、聖霊によって処女マリヤの胎に宿り、完全な人間として地上に来ました(ヨハネ1・14)。
イエスは人となって地上で生きて、十字架について死にました。イエス自身に罪はありませんでしたが、全人類の罪を負って、身代わりとなって罰を受け、死に、葬られたのです。
しかし、それだけでは終わりません。イエスは、三日目に文字通りよみがえりました(Ⅰコリント15・3-5)。
私たちを救うため、自らを犠牲にしてくれた神の愛です。
死と命
霊・魂・体は、非常に良いものですが、しかし問題が起きました。
罪の結果、死がもたらされたのです。
エデンの園で、神はアダムに命じました。
神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2・16-17)
アダムとエバは、この命令が守れず、罪を犯しました。
ところが、「必ず死ぬ」と言われたのに、知識の木の実を食べた後も、急には死んでいないように見えます。
しかし実際のところ、彼らは確かに死にました。
神からの「命」を失ったのです。
彼らの霊は神とのつながりを失いました。
霊的な死です。
体 ~世の意識を持つ領域~
体とは、生物学的・医学的な意味での私たちです。
肉眼で見えるあなたです。
アダムの体は土のちり(清潔な地上の成分)を集めて作られました(創世記2・7)。
たしかに人間の体を構成する元素を調べると、カルシウム、炭素、カリウム、マグネシウム、酵素など、すべて土に含まれているものと同じです。
体は神の作品として、本来は最高の機能を持っています。
アダムとエバの肉体は、もともとは不老不死で、永遠に保たれるべきものでした(創世記3・22)。
ただし、残念ながら、現在の私たちは、永遠の体を持っていません。
その昔、アダムが神の命令に逆らって罪を犯したので、罪の影響下に置かれた私たちの体は、もはや神がデザインした本来の「霊に属する体」ではありません。
現在の私たちの体は、老いて「死ぬべき体」(ローマ6・12、8・11)です。
これは「血肉の体」とも呼ばれます。
魂 ~自分の意識を持つ領域~
魂とは、肉体の内側に宿るその人自身です。
通常、世の中の人たちが「心」と呼ぶのがこれです。
喜んだり悲しんだりするあなたという存在は、単純に言えば、肉体という乗り物に入っているあなたの魂のことです。
知性、意志、感情は、すべて魂の活動です。喜怒哀楽は、魂の活動です。
あなたが何かを「思う」のは、あなたの魂が動いている、ということです。
霊は神から出てきたものですが、魂は神によって作られた「あなた自身」です。
わたし(神)はいつまでも争わず、
いつも怒ってはいない。
わたしから出る霊と、
わたしが造ったたましいが衰え果てるから。
(イザヤ57・16)
霊 ~神の意識を持つ領域~
霊は、人間の心の一番深いところに存在します。
霊はもともと神から来ているもので、神に属する領域です。
そもそも神ご自身が霊なる存在です(ヨハネ4・24)。
神は最初の人アダムを作ったとき、土地のちりでつくり、そこに命の息を吹き込みました。
神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。(創世記2・7)
ここで「息」と訳されている単語は、「霊」と同じ原語「ルァハ」です。
ルァハは、霊、息、風(強い風)などの意味があります。
アダムの中に神からの霊が入ったのです。
ある人の運転している車が、急に調子が悪くなりました。
彼は動揺もせず、車を路肩に止めて、淡々とボンネットを開け、持っていた工具で幾つかの箇所をいじりました。ボンネットを閉じて、運転を再開すると、車は快適に走り出しました。
彼は整備士だったのです。
ある人の使っているパソコンが、急にトラブルで画面が固まってしまいました。
彼は落ち着いてパソコンを再起動させて、必要な手順で修復作業を行いました。そしてバックアップしてあったデータを無事に取り出し、仕事を続けました。
彼はシステムエンジニアだったのです。
どんな機械でも、その構造を理解していれば、正しく扱い、修理し、最高の能力を引き出せます。
だとしたら、もしあなたが「人間」の構造を知り、正しく扱うことができれば、人生の様々な問題や傷を処理して、最高の人生を実現できるはずです。