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以下はカテゴリーもしくは月別「幻の7つの原則」で絞り込んだリストです。
2010年6月 8日
 

⑦幻は、絶えない

 ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙っていてはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はいない。この町には、わたしの民がたくさんいるから。」と言われた。(使徒18・9)

 聖書によると、パウロはコリントの町で、じつは恐れおののきながら宣教を続けていました(Ⅰコリント2・3)。勇猛果敢というわけでもなかったのは意外です。

 しかし主は幻によって彼と出会い、与えられた使命を続けるように、と励ましました。

 神は私たちを励ますため幻を与え続けます。

 私たちに与えられた使命と才能は変わることがありません。それを握って、神の計画を実現するようにと神は願っています。

 神の召命と賜物とは変わることがありません。(ローマ11・29)

2010年6月 7日
 

⑥幻は、神の国を広める

 ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」と懇願するのであった。パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤへ出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。(使徒16・9-10)

 
パウロは幻を通して、マケドニヤで福音を伝えることが神からの招きだと悟りました。

 神の与える幻は、私たちが神の国を伝える相手、場所、領域を教えます。

 あなたの幻の実現が、そのまま神の栄光となり、イエスの力や名が広まるために用いられていくのです。

 私たちが幻を握って送り出される先は、日曜日の教会堂ではありません。

 集まって礼拝を捧げることは、神の国の中心ですが、最前線ではありません。

 私たちが遣わされる最前線とは、生活の現場です。

2010年6月 4日
 

⑤幻は、出会いを通して明確になる

 ペテロが、いま見た幻はいったいどういうことだろう、と思い惑っていると、ちょうどそのとき、コルネリオから遣わされた人たちが、シモンの家をたずね当てて、その門口に立っていた。(使徒10・17)

 ペテロは主から不思議な幻を見せられましたが、その意味が解けまんでした。

 しかしコルネリオと出会い、説明を聞くうちに、幻の意味を悟り、ついに異邦人への福音伝道が始まりました(使徒10・34-35)。

 神からの幻は、すぐに鮮明に理解できるとは限りません。抽象的なものや、部分的なものなどが、時間をかけて少しずつ補強され具体的になっていきます。

 そのために神が用いるもっともポピュラーな方法は、「出会い」です。

 自分でも良く分からない情熱や喜びや、関心事の中に、神が与えようとしている幻が隠れている可能性があります。

 それらは人々と出会い、交わるなかで、少しずつ明確になっていきます。

2010年6月 3日
 

④礼拝者は、特別な幻を見る

 ある日の午後三時ごろ、幻の中で、はっきりと神の御使いを見た。御使いは彼のところに来て、「コルネリオ。」と呼んだ。(使徒10・3)

 
イタリヤ隊の百人隊長コルネリオは敬虔な人で、家族と共に神を恐れる人でした。

 神は彼の「祈りと施し」(使徒10・4)を覚えていました。「祈り」は神への正しい態度の象徴、「施し」は人々への正しい態度の象徴です。

 つまり彼は、神にも人にも、誠実な対応をしていたのです。

 それゆえ神は異邦人伝道のきっかけとなる特別な幻をコルネリオに与え、ペテロを招くように指示しました。
 
 神は私たちの心や態度を日々見ています。

 そして御心にそって神を求める礼拝者には、特別な使命を帯びた幻を与えます。

2010年6月 2日
 

③幻は、他の人の幻と関連している

 
(パウロ)は、アナニヤという者がはいって来て、自分の上に手を置くと、目が再び見えるようになるのを、幻で見たのです。(使徒9・12)
 
 アナニヤがサウロ(パウロ)について幻で示された一方で、サウロ(パウロ)自身にもアナニヤについての幻が示されていました。

 神が人に与える幻は、神の計画の一部であり、他の誰かの幻とどこかで関連しています。

 あなたの夢は、あなただけで孤独に完結しません。

 ときには大きなビジョンの中に小さなビジョンが詰まっています。

 ヨシュアは約束の地全部を占領するというビジョンを持っていました(ヨシュア1・2-4)。カレブはその中でヘブロンの山地を治めるビジョンを持っていました(ヨシュア14・12-13)。

 どちらも繋がっています。

2010年6月 1日
 

②幻の中にイエスを見出す

 さて、ダマスコにアナニヤという弟子がいた。主が彼に幻の中で、「アナニヤよ。」と言われたので、「主よ。ここにおります。」と答えた。(使徒9・10)

 ダマスコのアナニヤは、幻の中で主イエスと会い、サウロ(後の使徒パウロ)のもとに行き、手を置いて祈るように命じられました。

 ここで学ぶ原則は、神が与える幻は、直接的に、もしくは間接的に、その中にイエスを見出すことができる、ということです。

 庭付き一戸建て、新しい営業先の開拓、孤児院の建設、数年ぶりに娘と食事に行く...。どれも素晴らしい幻です。

 けれども、その幻の中に、イエス・キリストの存在感があるでしょうか。

 幻を通して、キリストと出会っているでしょうか。

2010年5月31日
 

主は私に答えて言われた。

幻を板の上に書いて確認せよ。

これを読む者が急使として走るために。

(ハバクク2・2)

 聖書では、しばしば神が人々に幻(まぼろし=ビジョン)を与える場面があります。

 幻とは「神が与える、神の計画や人々の将来についての啓示」です。

 神はもちろん現代の私たちにも幻を与えます。

 私たちが神の国の住人として、価値ある目標へ全力疾走できるためです。
 
 様々な出来事が起こる慌しい人生の中でも、揺るがされることなくまっすぐ進めるように、「走りながらでも読めるように」(ハバクク2・2新共同訳)、幻をあなたの心の板に書き記しましょう。

 新約聖書『使徒の働き』では神が人々に幻(ビジョン)を与える場面が7回登場します。

 それぞれの内容や状況は、神からの幻の原則を部分的に現しています。

 7つを全部調べると、そこに原則の全体像が見出せます。

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