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2011年8月14日
 
花嫁修行の場

 その昔イスラエルでは、男女は正式に婚約した時点から制度上は「夫婦」と見なされました。

 結婚式前でも、「夫」と「妻」の呼称も使います(マタイ1・19−20参照)。
 
 教会も、すでにイエスと婚約済みです。
 
 2000年前に十字架の救いが完了した時点で、教会はイエスと婚約式を済ませ、花嫁としての地位を得ています。

 一人ひとりの信仰者たちもイエスを信じたときに、イエスの血によって買い取られ、教会の一部としてその契約の中に加えられたのです。
 ですから、今の地上にあっても、教会はすでにキリストの「花嫁(妻)」と呼ばれる正当な権利を持っています。

 しかし結婚式はまだです。

 古代のイスラエルでは夫は婚約後、新居作りを始め、花嫁を迎え入れる準備をします。

 およそ1年して、準備ができると花嫁を迎えに来て、新居での盛大な結婚式が行われます。

 同じようにイエスも、花嫁なる教会を迎えに、将来再び地上に来るのです。
 
 「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。(ヨハネ14・1−3)


 言うなれば、教会は今、花嫁修行中の身なのです。

 その現場が、地上にあるそれぞれの地域教会です。

 各地域にある教会は、将来完成する花嫁の性質の一端を、前もって世に現していく役割があります。

 ある人々は花嫁なる教会を主張するあまり、地域の諸教会を軽視してしまいます。

 しかし夫であるイエスは、各地域の教会を大切にして、それぞれに別の指示を与えています。

 その声はこう言った。「あなたの見ることを巻き物にしるして、七つの教会、すなわち、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィヤ、ラオデキヤに送りなさい。」(黙示録1・11)


 地域教会は、あらゆる試練も困難も通りますが、それは私たちが花嫁の光る麻布として整えられるためのプロセスです。

 結婚相手が誰だか分からないままの花嫁修業は盛り上がりませんが、教会には明確な婚約者であるイエスがいます。


 私たちは目の前の問題を必要以上に心配しなくてよいのです。

 ただ、花婿であるイエスを見失わないようにだけ、注意すれば良いのです。

 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。(ヘブル12・2)

 イエスが十字架の上で極限の苦しみすら忍び通したのは、将来、麗しい花嫁を迎える「喜び」があったからです。

 同じように、私たちも将来、最高の花婿と一つになるという喜びがあります。

 ですから、あらゆる機会を用いて、地域教会において、花嫁の麗しさを養って下さい。
 
 教会にとって何よりも大事なのは、その聖さです。

 花嫁の最大のアイデンティティである聖なる美しさを失ってはいけません。
 
 さまざまな活動も大事ですが、まず聖なる霊的な麗しさで、つまり存在そのもので、世に対して影響力を発揮する教会でありましょう。

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