教会に求められる美しさは、霊的な麗しさです。
イエスが教会をどのように仕上げたいか、花嫁なる教会の特長を、御言葉から探ってみましょう。
①しみもしわもない
キリストは花嫁を、しみもしわもない、完全な美しさに仕上げます。
キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。
(エペソ5・26−27)
教会にとって、しみとは、洗い清められていない罪のことです。
服にしみがあると、そこだけ色がくすむように、悔い改めずに残されたままの罪は、教会を汚します。
罪は、個人だけでなく、チームである教会そのものをも汚すのです。
それでは花嫁とは言えません。
それゆえ主はあなたを導き、あなたの魂に残る罪のしみを、洗い清めるように促します。
口で告白して悔い改めて祈り、十字架の血によって洗われ、罪のしみを捨て去りましょう(Ⅰヨハネ1・9)。
また、教会にとって、しわとは、神に喜ばれない曲がった行動や歪んだ行動です。
服を雑に扱うと、おかしなしわができてアイロン掛けが大変です。
同じように、雑で間違った行動や態度を起こすと、教会に歪みやひずみをもたらします。
それでは花嫁とは言えません。
ですから聖霊は教会の中で働き、教会が御心にそった良い行い、召された道へと進めるように導きます。
②清純な処女
キリストの花嫁は、汚れのない処女として存在します。
というのも、私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからで私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。(Ⅱコリント11・2)
男性と関係をもったことがない、汚されたことのない女性です。
花嫁は純潔を守り、花婿にのみ自分を捧げ、支配させます。
教会は御言葉を守り、主イエスにのみ自分を捧げ、支配させます。
教会にはしばしば間違った教え、価値観、流行、イデオロギーなどが侵入してきて、純潔さが汚されそうになります。
ヒューマニズム、エコロジー、オカルトや神秘主義、権威主義や民主主義、社会主義、宗教との混合、行き過ぎたリベラリズムなど、切りがありません。
いつの時代も、教会は真理を守るための戦いがあります。
真理の御言葉を正しく握ることは、花嫁の聖さです(ヨハネ17・17)。
花嫁は、あらゆる種類の偶像崇拝を拒否し、聖さを保つのです。
③聖徒たちの正しい行いを衣としている
花嫁のドレスは、一人ひとりの勝利者たちの義によって仕立てられています。
花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。」(黙示19・8)
この御言葉の「正しい行ない」は「法的に正しい行為、正しい判断」などの意味があります。
英語のKJV訳では、「聖徒たちの義である(the righteousness of the saints)」と訳しています。
つまり表面的な行ないではなく、義(神との正しい関係)から生じる行ないです。
あなたが日々、神と深く結びつき、御霊によって歩んでいきるとき(ガラテヤ5・16)、そこから生じる正しい行ないの一つひとつが、花嫁のドレスを仕立てているのです。