イチローが年間200安打を記録してもマリナーズが優勝するとは限りません。
長友が右サイドで好プレーを見せてもインテルが勝つとは限りません。
最高のパテシエがデザートを作っても、コース料理全体が最高とは限りません。
サムエルは優れた預言者でしたが、家族としては勝利を得ませんでした(Ⅰサムエル8・3)。
逆もあり得ます。
特別な選手がいないサッカー部でも、チームワークの良さを活かして予選を突破することもあります。
劇団四季にはスター俳優はいませんが、「ライオンキング」は大ヒット上演中です。
オリンピックの体操種目は、個人では金メダルがとれなくても団体(総合点)で金メダルをとることがあります。
おなじように、あなたが勝利者になることと、あなたの属するチームが勝利を収めることは、別の話です。
では、神の国のチームとは何のことでしょうか?
それは教会です。
主イエスが建て上げようとしている弟子たちの群れ、それが教会です。
教会は原語でエクレシアと言います。
「世から召しだされた者たちの集まり」という意味です。
このチームメンバーは、「世」から招き出されました。
もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたし(イエス)が世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。
(ヨハネ15・19)
わたし(イエス)は、あなた(御父)が世から取り出してわたしに下さった人々に、あなたの御名を明らかにしました。彼らはあなたのものであって、あなたは彼らをわたしに下さいました。彼らはあなたのみことばを守りました。
(ヨハネ17・6)
建物のことではありません。
キリストのものとなった人々のチームのことです。
神は聖書を通じて、個人のビジョン・ミッション・ゴールだけでなく、チーム(教会)としてのビジョン・ミッション・ゴールも示しています。
私たちが最高のチームを目指せるように導いてくれているのです。
教会編に入る前に知っておかなくてはならない、大切なポイントがあります。
それは、「教会」と「神の国」は密接に関連しているが別の概念だということです。
この二つを曖昧に混同すると、アンバランスになります。
ある人たちは教会を抜きに神の国を目指します。
しかし教会というチームについて正しく理解し参加していかなければ、神の国で効果的に役割を果たすことはできません。
ある人たちは、「教会は内向きになって自分たちのことばかりを考えている」「もっと外に向かって神の国を実現していくべきだ」と論じます。
一理あります。
が、聖書は教会の内側の人々を優先して大事にすることも随所で教えています。
ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行いましょう。(ガラテヤ6・10)
教会の内側に愛がないなら、どうして外側に対して愛が示せるでしょう。
教会自体のビジョン・ミッション・ゴールを捉えてこそ、神の国を広げることができるのです。
今回の「教会編」では、神の国の概念と切り離し、文字通り、教会そのものについて探っていきます。