あなたではなく、神
66巻にわたる聖書の、最後の書である黙示録。
そこには、天の御座の前で礼拝を捧げる24人の長老たちの姿があります。
彼らは勝利者たちです。
24という数字は、「統治」を現す12という数の2倍です。
彼らは旧約と新約の双方の勝利者たち、もしくはイスラエルと異邦人の双方の勝利者たちを象徴していると言えるでしょう。
彼らには天で冠が与えられています。
すでに説明した通り、冠は勝利者の証明です。
しかしその冠が、ここでは意外な使われ方をしていました。
二十四人の長老は御座に着いている方の御前にひれ伏して、永遠に生きておられる方を拝み、自分の冠を御座の前に投げ出して言った。
「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」
(黙示録4・10--11)
彼らは自分たちの冠を、御座の前に投げ出したのです。
人生のゴールまで走り抜けて、勝利者としてついに与えられた義の栄冠なのに!?
彼らが権威や栄光を失うという意味ではありません。
一度与えられた栄冠が取り上げられるという意味ではありません。
これは彼らの礼拝の態度です。
彼らはすべての栄光を主に帰しているのです。
これがキリストの弟子です。
主のみが栄光を受けることを喜びとする者たちです。
勝利者だから主に栄光を帰すのではありません。
主に栄光を帰すから勝利者なのです。
あなたがキリストの弟子として成熟すればするほど、あなたは主の栄光を体験し、多くの権威を与えられ、神の国で偉大な人となるでしょう。
しかし、そのたびにあなたは心の中で、冠を御座の前に喜んで投げ出し、こう叫ぶのです。
「これは私の働きではありません。主よ。あなたの御業です!」
旧約聖書でヨセフは、エジプトの王(パロ)の見た夢の解釈を求められました。
ヨセフはパロに答えて言った。「私ではありません。神がパロの繁栄を知らせてくださるのです。」(創世記41・16)
彼は心の中で、冠を御座の前に差し出したのです。
新約聖書のパウロも、自分の使徒としての働きも、すべて神によるものだと書いています。
何事かを自分のしたことと考える資格が私たち自身にあるというのではありません。私たちの資格は神からのものです。(Ⅱコリント3・5)
そして、あなたの人生もまた、聖書の中の勝利者たちと同じように、神に栄光を帰すことが目的なのです。
あなたにも、必ずそれができます。
天に上がるまで待つ必要はありません。
今のあなたが体験する日々の栄光を証してください。
あなたが与えられる賞賛と栄誉を、御座の前に差し出し、賛美を捧げてください。
24人の長老のように、いつも最高の礼拝者であり続けましょう。
主の御顔を慕い求め、主の栄光だけを願う者になりましょう。
主をほめたたえること、それこそがあなたの人生の目的なのだから。
ほむべきかな。イスラエルの神、主。
とこしえから、とこしえまで。
すべての民が、「アーメン」と言え。
ハレルヤ。
(詩編106・48)