弟子のパーパス ―神の栄光―
最後に、キリストの弟子のパーパス(目的)を知りましょう。
「目的?キリストに似るのが人生の目的でしょう?」と思う人もいるかもしれません。
しかしビジョンとパーパスは別です。
パーパス(目的)とは「なぜそのビジョンを目指すの?」に対する答えです。
企業や団体でもビジョンを掲げることは多いのですが、その背後にあるパーパス(目的)は見落とされがちです。
そしてこの、外からは判別しにくい、内なる目的意識は、私たちの人生を大きく左右していきます。
なぜあなたはキリストに似ることをめざすのでしょうか?
その動機が大切なのです。
ときには私たちは自分でも真の動機に気付かず、純粋だと思い込んでいます。
しかし、神は行動の裏にある動機を探る神です。
人は自分の道はみな正しいと思う。
しかし主は人の心の値うちをはかられる。
(箴言21・2)
私たちが神の子として立派に成熟し、キリストに似た者となる目的、それは御言葉に次のように記されています。
神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。(エペソ1・5ー6)
神の栄光がほめたたえられるため、です。
あなたの人生の真の目的は、あなたの側にはありません。神の側にあります。
あなたがビジョン・ミッション・ゴールを掲げる理由は、あなたではなく、神が栄光を受けるためなのです。
あなたは神の最高傑作ですが、作品(あなた)ではなく、作者(神)が賞賛されるのです。
あなたはかつて罪の奴隷であり、その当時は何も真に価値のあるものを得ることができず、永遠の死の束縛の下にありました。
しかし神はご自分のひとり子であるイエス・キリストを通して救いをあなたに与え、あなたをキリストに似た者へと成長させるのです。
死刑囚から王族へ。
なんという神の恵みでしょう!
あなたはこの「恵みの栄光」を現す者なのです。
実を結ぶことも、最終目的ではありません。
勝利を収めることも、最終目的ではありません。
その結果、父なる神が栄光を受けることが最終目的なのです。
あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。(ヨハネ15・8)
もしもあなたが、自分自身の栄光を願ってビジョン・ミッション・ゴールを握るなら、根本的に動機が間違っています。
これは「あなたが輝いてはいけない」という極端な意味ではありません。
あなたは神の作品として光を放つべきです(マタイ5・14)。
しかしその光源はイエス・キリストです(ヨハネ8・12)。
あなたは常に光源であるこの方を紹介し、神に栄光を帰しましょう。
正しい目的から離れてしまう危険は、成長すればするほど大きくなります。
最初は神に栄光を帰しながら謙遜に歩んでいた人も、結果を残し、有名になると、だんだんと高慢さという誘惑に襲われます。
この誘惑は、毒矢のようなものです。
そのまま放置していると、あなたの人生は少しずつ歪んできますが、自分ではなかなかそれに気付きません。
そうならないために、私たちが常に戻るべき原点が用意されています。
十字架です。
私たちは徹底的に自己中心さから清められなければいけません。
古い肉の性質に、完全に死にきる必要があるのです。
キリストの弟子の成長とは、徹頭徹尾、十字架から流れる神の恵みであり、あなた自身が誇れる要素は何もありません。
あなたは、神の栄光を現すために存在しているのです。
わたしの名で呼ばれるすべての者は、
わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、
これを形造り、これを造った。
(イザヤ43・7)