召しに応える
ある学者が、スポーツ雑誌のバックナンバーを調べた結果、スポーツの記事でもっとも多く使われている動詞は、打つ、投げる、蹴る、などではなく「続ける」と「呼ぶ」だったそうです。
「続ける」は試合に出続ける、走り続ける、などです。
「呼ぶ」は日本代表に呼ぶ、監督が選手を呼ぶ、などです。
サッカー選手は自分で勝手に日本代表ポジションを選ぶのではありません。
選手の特性を見抜いた監督に呼ばれ続けるから活躍できるのです。
スポーツの世界でも呼ばれることが鍵であるように、キリストの弟子の生き様も主から召され続ける(呼ばれ続ける)ことが鍵です。
招集された選手こそが最後にトロフィーを手にできるように、召しに応えた弟子たちこそが栄光を受けとるのです。
神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。(ローマ8・30新共同訳)
「召し」とは「呼ばれること(コーリング)」です。
あなたは使命を自分で考えだすのではなく、主から受け取るのです。
あなたの幸せに第一に責任を負ってくれているのは神です。
神はあなたが最高の実を残せるための召しを用意しています。
あなたの義務は、その召しに応えることです。
人の心には多くの計画がある。
しかし主のはかりごとだけが成る。
(箴言19・21)
聖書に登場する勝利者たちは、みな自分たちに与えられた召しに忠実でした。
偉大なヒーローたちは偉大な召しを受け止めました。
モーセは神から召されました。
今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。」(出エジプト3・10)
ギデオンも召されました。
「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。わたしがあなたを遣わすのではないか。」(士師記6・14)
エレミヤも召されました。
わたしは、あなたを胎内に形造る前から、
あなたを知り、
あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、
あなたを国々への預言者と定めていた。」
(エレミヤ1・4−5)
けれども、それらの召しはどれも、彼ら自身の力では達成できないものでした。
ヒーローたちの反応を見てみましょう。
「ああ主よ。どうかほかの人を遣わしてください。」(出エジプト4・13)
「ああ、神、主よ。
ご覧のとおり、私はまだ若くて、
どう語っていいかわかりません。」
(エレミヤ1・6)
「ああ、主よ。私にどのようにしてイスラエルを救うことができましょう。ご存じのように、私の分団はマナセのうちで最も弱く、私は父の家で一番若いのです。」
(士師記6・15)
みんなギブアップです。それは当然の反応かもしれません。
神の与える召しは、そもそもあなたの能力を超えています。
神は偉大な計画が好きです。偉大過ぎて、神の助けなしには実現できません。
ですから、あなたが召しに応えて歩むとき、覚えておくべきことがあります。
それは、「あなたが今していることよりも、神は大きなことをしている」という原則です。
ある少年は、わずか5つのパンと二匹の魚を用意して主の前に差し出しました。
それは彼にできるベストでした。
しかし主はそれを喜んで活用し、5000人に食事を施しました(ヨハネ6章)。
同じように、あなたが召しに応えようとするとき、そこに主の恵みも注がれます。
あなたではなく、主の働きなのです。
召しに応えるとは、恵みに応えることなのです。
あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。(ピリピ1・6)