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HomeTop Page  Homeビジョン・ミッション・ゴール弟子編27
2011年7月15日
 
主ご自身を知る

「自分の召しが分かりません。どうすれば分かりますか?」

 と言う質問がしばしばあります。

 召しについて聖書から学べば学ぶほど、「それで、いったい私の召しは何ですか?」という焦りが生まれがちです。

 これは御言葉を学ぶときにありがちな「落とし穴」です。

 御言葉によって真理や原則を学ぶことは大切ですが、それ以上に大切なのは、御言葉を通して主イエス自身を知ることです。

 召された道を歩むための確実な方法は、常に道であり真理であり命である方と出会い続けることです(ヨハネ14・6)。


 船が夜中に航海するときは、目の前の航路は暗くて見えません。

 けれども北極星だけを見つめて、それに向かっていけばまっすぐ北に進めます。

 人生で迷路の中にいるようなときも、あなたは自分の前に置かれたいろいろな扉(可能性)を開きたくなるかもしれません。

 無理矢理いろいろな扉を開いて進むほど、さらに入り組んだ迷路に入り込んでしまいます。

 そんなときは視点を高くあげて、主を見上げましょう。

 主イエスはあなたが道を分からずに悩んでいるとき「何をすれば良いのか」とか「あなたにどんな召しが用意されているか」よりも、もっと教えたいことがあります。

 「主である私が誰であるか」です。


 昨日よりも、ほんの少し、主ご自身についてさらに知る。

 それを積み重ねていくとき、あなたは知らず知らずのうちに、行くべき道を進んでいます。

 
 優れたコーチが、球技の苦手な小学生にキャッチボールを教えました。

 「いいかい、キャッチできなくてもいいから、ボールの縫い目がどちら向きに回転しているかだけ見分けてごらん」
 
 言われた小学生は、自分に向かってふわりと投げられるボールの回転を見分けて「これは...右!」「今度は...左!」と伝えます。

 何度か繰り返していると、いつのまにかこの子はきちんとボールをキャッチできるようになってきました。

 ボールを「キャッチする」のではなく、「よく観察する」のです。


 召しもこれと同じです。

 召しを受け取ろうとするのではなく、主を知ろうとするのです。

 召命を学ぶとは、つまり、神自身の性質を知ることなのです。

 あなたの人生を背負い、運んで下さる主を知ることなのです。


 わたしに聞け、
 ヤコブの家と、イスラエルの家の
 すべての残りの者よ。
 胎内にいる時からになわれており、
 生まれる前から運ばれた者よ。
 あなたがたが年をとっても、
 わたしは同じようにする。
 あなたがたがしらがになっても、
 わたしは背負う。
 わたしはそうしてきたのだ。
 なお、わたしは運ぼう。
 わたしは背負って、救い出そう。
 (イザヤ46・3−4)


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